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21/03/2006

最終章「死」

最終章「死」
 
なんだか今になるといろんな所で憎まれ口や戯れ事が聞こえてくる。
幻聴っていうふうにとりたいですが
まぁ晴れて憎まれ口をたたく相手がいなくなるわけです。
悟られず、逃げ伸びるでしょうねぇ。
なんだかおまけが付いてきそうですが・・・・
まぁこれは私の勝手な予想ですが、
誰かに「俺はこれからバイトして頑張る!!」そんなこといえませんよ。
誰かに「ごめんなさい。これから頑張るから!!!」そんなこといえませんよ。
いまさら、謝ったり自分のこれからを表して誰が許してくれるのでしょうか?
まぁ怒られるのは目に見えていたことですが・・・
誰か許してくれるなんてこれっぽっちも思ってませんよ。
 
17年間いろんな人と出会った。
小さい頃から
いろんな大人にも同期の人間から先を行く人間、年下の人間。
そんな人と出会っていろんなことであってその人のいろんなこと聞きました。
悲しいことから、楽しい事、珍しいこと、聞いててムカツクことまで。
そんなことを聞いたから今の私がある。
そんな少しの人間の話を聞いて私は全てを知った気になり満足していた、
だから周りにいる人たちは
「逃げた」とか「家出した」とか思うんでしょうね。
でも私の仲では形よく「旅」って形になっています。
いろんなものが見たい。
「今すぐじゃなくてもいいじゃない!」そうゆうことを言う人が絶対います。
今がいい!それに今、現在に及んで。
ここのいて迷惑掛けた人全員に謝っても
誰も許してくれる気がしませんよ。むしろいろんな人から
拳が飛んできそうで・・・怖いです。
臆病者ですね、ハイ。
 
最後はどうなるのでしょうか?
誰もいない地に辿り着き死を待つのか?
誰かに連れ戻され説教食らうのか?
中途半端なところで力尽きるのか?
いろんなパターンがありますね。
きっとどれもありえるでしょう。
でも唯一なって欲しくない、周りの人間にして欲しくないことがあります。
1「通報」
2「追跡」
この二つはやって欲しくないです。
私が見つけた逃げ道です。誰にも潰されたくないんです。
これはバカにも程がありますが、私が開いた未来(あす)への道なんです。
その道になにがあって誰が待っていて、何があるのかもわかりませんが!!
が、私は頑張ります。
 
誰か私がいなくなって何ヶ月、何年、何十年経っても尚
私の事を覚えてる人がいる!!そういうふうに思ってあるけば大丈夫な気がします。
人に迷惑掛けて怒られて何ぼなのが私です。だけど
もぉそんなガキっぽいこともしてられませんからね。
「そういうガキっぽいのがお前なんだよ!」
そういうこと言われたら言い返せませんが。
でも、やっぱりガキもいつかは大人になりたいと思うものです。
だから大人になってきます。そして私がここを覚えていたならば
帰ってこようかな・・・なんて思ってます。
何一つ変わりないここを見たいと思います。
 
ありがとうございました。もっともっといろんなことを学んで大人になります。
下手したら死にますが・・・でも死ぬのも人生です。
この旅で少しは成長できるでしょうか?地元の皆はすぐ私の事を忘れてくれるだろうか?
そんな事を今から考えてます。
 
サヨウナラ。Good Bye
 
いつかの馬鹿者より
17/03/2006

四章「憎みたくなるのは」....他

四章「憎みたくなるのは」
憎しみ。
誰にでも生まれる感情。どんなに我慢したって
結局は恨んでしまう憎んでしまう。
私が一番憎みたいのは自分だ。
この世に生まれ落ちてしまった私自身が
一番憎い。
今、自分が考える以上、誰の役に立たず。
誰のためにだって生きていない。
聞いて見たい
「私は何のためにいきているのか?」
自分のために生きているとも言えない。
誰か大切な人のために生きているとも言えない。
何か大切な目標のために生きているとも言えない。
なら生きている意味はないのではないのか?
死にたくなる。
でもそれをとめる人間が嫌いだ。
何故とめる?死んで支障はないだろ!?
そんな感情に頭の中が埋め尽くされる。
 
自分のことでイライラしている時に、親に何か言われる
凄く気に障る。つい手が出る。
もちろん両方無事ではない。
親は打撲、私は手を切るなど・・・傷が絶えない。
頭では自分が何をしているか分かっている。
でも情緒不安定な時がよくある私には親の言葉が一番苦痛で
自分の次に恨みたくなる。
 
五章「事実」
今になって考えるといろんな人に嘘をついてきた。
たとえば「アメリカにおじさんがいる」、「サーフィンの大会に出て優秀な成績を残している」
そんなわけない。アメリカとのつながりがなければ、サーフィンの才能もない
謝りたいけど、謝って責められるのではないか?
そんな気持ちになる。
怖い逃げたい。そんなことばかり思う。
でも「ごめんなさい」そんな言葉が言い出せずにいる。
きっとこれを知ったら皆私のことを恨むのであろう。
自業自得だと思う。
 
それに、私がほぼ毎日のようにできもしない死を望んでいることも確かだ。
誰か殺してくれ。そんなことを思う日もある。
でも死のうかな・・・そなんあことを思った瞬間、
自宅の天井を見る。すると「死んだらこの天井がもう見れなくなるんだよな・・・」
そんな気持ちになるときがあれば
「もうお前らに会えなくなるんだよな」などと猫に話しかけるときもある
 
そう思った日は死ねない。
でも不思議なことに親や友達のことを考えて
死ぬのを止めた事はないきがする。
理由は何故だかわからない。
でも死のうって思った日も誰のことを考えなんで死のうと思ったかも分からない。
教えてください。
そんなこと言っても誰も知ってるはずもなければ教えてくれるはずもない。
 
六章「感謝」
今思えば、いろんな人と出会い別れ
笑い、泣き、喧嘩した。
そんな人たちに実際面と向かって言えないことがある
「ありがとう」
恥ずかしくて言えやしない。
でも親身になって話を聞こうとしてくれた先生や友達
俺がここまで成長する上で大切なことを教えてくれた親やいろんな大人の人
失敗した俺を叱り、慰めてくれた先生や友達、親。
年の差を忘れて一緒にいた妹。
くだらないことを話、馬鹿げたことを一緒にしてきた相棒。
 
そんあ人たちに心の底からありがとうを言いたい。
でも数人の人間からはこんなことを言われそうな気がする。
「馬鹿野郎!気にするな」
そんな感じなことを。
 
止めてくる人、止めず見守ってくれる人
殴ってくれる人、なでてくれる人
笑ってくれる人、泣いてくれる人
話を聞いてくれる人、無視する人
一緒にいてくれる人、遠くで見てる人。
いろんな人が私の周りでいろん生き方をしている。
勉強に励む人、夢に向かって馬鹿正直に生きる人。
好きな人がいるんだけど告白できない人、付き合い始めて9ヶ月を妊娠9ヶ月とちゃかす彼氏
活動しないか?と誘う相棒。新しい刺激が欲しいという幼馴染み
 
みんなみんな大好きだ。でも私の思い込みが人を嫌いにしている。
それ悲しいことだけど、私はこれでいいと思う。
いろんな人がいるように、そのいろんあ人の中に存在するのが私だから。
 
最終章「死」...他
15/03/2006

一章「幼少期」....他

一章「幼少期」
幼少期、私は親から聞く話によると
すばらしく優秀だったらしい。
もちろん親ばかかも知れない、
でも
違うかもしれない。
どの道信用はしていなかった。
どんなふううだったか?
生まれるのが早いから・・・そんな理由だけで全ての基準を私に合わせたり。
友達を守るやさしい子でもあったらしい。
 
しかしどうだ?
今の私と比べて見て。
酷いものだ・・・・
私は優秀でもなければ、優しくもない。
他人に優しいといわれるのがすごく嫌だった。
 
ここまでは保育園までの話。
次は小学校に入学したころだ。
私には同じ棟に住む幼馴染みがいた。
その3人でほぼ毎日一緒に登下校していた。
夏休みなんて幼馴染みの一人から朝の7:00から遊びの電話が来るくらい
周りに友達もいた。
活発で明るくて、好奇心旺盛で・・・
その好奇心旺盛ぶりをキャンプでも出していた。
川に入ってこけても懲りずに何度も何度も川へ。
焚き火のけむりが目に入ったっていつまでも焚き火のそばへ。
かえるを見つけてはうちに持ち帰りたがり、帰す時には泣いて。
 
私なのだがすごく純粋に生きていた要に見える。
今を見て見てくれ、最悪だ
自分でここまで落ちてきた。
それなのに懲りずにどんどん下へ下へと降りていく・・・
戻ってこれるかも分からずに。
 
もちろん誰かに助けてもらえるわけでもない
親はこう言う「昔の聖也だったら出来たのに」
 
だと思う・・・・今の私に何をやれといわれても
にげるだけだ。正面から立ち向かうことなんて出来ない。
 
二章「きっかけ」
今の私が何故いるのか?
私の激しい思い込みなのかもしれないが、
私がこうなったのは小学校4年生の時だ
小学校4年生の時にあることが起きた。
「いじめ」だ。
もちろん最初は少人数だ。
そこから学年全土へと広がった。
どんないじめか?
体臭の事だ。
そばによるたびに「臭い。」そう言われるのだ・・・
もちろん不確かだ。だがせめて聞こえないように言って欲しいのもだ。
わたしが話しかけようとしれば近寄って聞こうともせずその要件を聞き入れてくれもしない。
それは中学3年生まで続いた。
何度自決を図ったか・・・
もちろん死ぬのが怖くなり家出した。
でも家出して悲しくなってすぐ戻ってきた。
勇気なんてものはもともと持ち合わせてない。
中学時代はこれとないくらい酷かった。
 
私のいじめを知ってる人間と班になったとき
給食の時に机をくっつけて食べるのだが、私の机の周りには誰の机もない。
ある日、私がトイレから教室に戻ると
ある男子生徒が、私の事を嫌っている女子の机に付けようとした、
その机が近づくのを知った女子はもちろん
「やめてよ!」
そう言った。その光景を私は目の当たりにした。
死にたくなった今すぐ死んでやろうと思った。
「お前らの嫌いな俺が死ぬんだ!嬉しいだろう!」
そう言ってから。
そんな勇気はもちろんない。
だから私の事を分かってくれる数少ない人の元へ
担任が来て、呼び戻し来た。
「教室で食べろ」と
私はもちろん断った。だが他の先生にも言われ結局教室へ
だが私は一切食事に手をつけなかった。
食べてるしぐさをみて何かを言われるのが嫌だったからだ・・・
 
他にもまだある。
中学最後の修学旅行の時の班決めの時
私はそれなりに仲がいいと”思ってた”友達を班を組む約束をした。
班決め当日。
裏切られた。もちろん思い込みなのかもしれない。
でも思い込みじゃなかった。一人になった所謂「仲間はずれ」だ。
誰の班にも入れずたった一人。
担任は「誰か聖也を班に入れてやってくれないか?」
無駄な事を、だれが私を班に入れてくるだろうか?
いるわけもなく、もちろん全員無言だった。
結局私は無理やり班に入れたれた、他のメンバーはもちろん嫌がっていた。
もし私が班を組んでいなかったら修学旅行には行かなかっただろう。
むしろこの結果は目に見えていた。
必ず省かれると。
 
三章「恋愛」
こんな私でも恋愛はする。
小学校のころは
「だれだれちゃんとだれだれちゃんとだれだれちゃんが好き。」
小学生なら言いそうだ。
そう複数の子が好きになる。と言うより気に入ることが好きになるというべきか?
しかしはやり成長すると世界は変わる。
成長するということは少しずつ大人に近づいていると言う事。
だから恋だって、複数の選択は不可能。
「俺はだれだれが好きだ!!」
そんな気持ちが必要になる。意に決した人を決めなくてはならない。
あいまいな気持ちで恋愛など到底不可能だ。
しかし私が恋をして全ての歯車が狂い始めた。
 
高校に入り、高校には誰も私をいる人間がいない
すばらしく心地よかった。
私をしらない。私のいじめを知らないからだ。
すぐなじみクラスの主役的存在となった。
高校初めての夏。恋をした。
それも一生人を恨んで憎めるくらい儚く辛い恋を
初めての恋、初めての女性との面と向かった会話
初めて握った好きな人の手、初めてのデート。
そして初めての本当の失恋・・・・
 
その日私はこれまでにない悲しみに襲われた。
夜も更け親も寝たころ、ベランダの戸を開け空を見ていた。
私は号泣した。
悲しいのに空に浮かぶ月があまりにきれいで
その月の綺麗さに圧倒され涙が流れた。
悲しみを一緒に・・・
 
失恋して一ヶ月後、まだ歯車の狂いは直らなかった。
初めての彼女。
沢山話た。でも悲しい恋だった
私が一番侮辱していた「遠距離恋愛」を私はした。
距離間は「千葉⇒大阪」だ
電話もした何時間も何時間も
メールだって文通だって・・・
しかしはやり私は最悪だった、言葉の行き違いが崩壊を呼んだ・・・
もちろん二人で考える間も無く分かれた。
しかし彼女は「自分がいい女じゃないからだよね。もっといい子がいたんだよね。聖也モテルからね・・・」
そう言って電話を切った。それが最後の電話だった、それが最後に聞いた彼女の声だった。
虚しくなった、会ってこう言いたかった
「お前以上の女なんていない。俺はもてない」そう言いたかった・・・
ただ私が惚気てるだけなのかもしれない、ただ私が彼女にのぼせてただけなのかもしれない。
でも私はあの子が本当に好きだった。
その恋は年を越すことなく終わった。
 
四章「憎みたくるのは」...他
13/03/2006

はじめに

「自分を知らない自分へ」
著:須藤聖也
出版:私の闇
 
「はじめに」
私の名前は須藤聖也。
4/21生まれ牡牛座の男だ。
物心つく年頃、自分のことを意識する年頃、他人を意識する年頃
それくらいまでは、無邪気で周りからも頼られ、出来のいい子
だったらしい・・・・
私は自分の事を知らない。
知らないというべきなのか?知ろうとしてないと言うべきなのか?
この短編小説は、私の今までを私が思った人生をつづる小説だ。
この小説を読んで傷つく人がいるかも知れない、
この小説をよんで悲しむ人がいるかも知れない。
そうゆう事を考えるとはやり書くべきでわないのかもしれない。
だが、私は私自身の、私なりの最後を小説で語ろうと思う。
他人がどう思うと・・・
 
これは須藤聖也という一人の「自意識過剰」な少年の17年間の物語である。
本人がその手で語るのは、
真実か?
それとも
嘘なのか?
それは本人ですら分からない。
 
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11/03/2006

予告

~予告~
明日から、短編小説を書こうと思います。
何を突然と思うでしょうが、理由はありません。
きっかけは俺らしいなと思う方もいると思います。
実は今日(3/10金)に放送した「耳をすませば」を見ていて
今の自分を小説を言う形で書いて見ようと思いました。
今までは詩という形でたまに自分のことを書いていました。
しかし詩だと短くなってしまうので、「耳をすませば」をみて
小説ならば思う存分自分の過去、現状、未来をかけるのではないかと
思い書こう。そういたりました。
 
明日です。明日からすこしづつ小説を書いていきます。
よろしくお願いします。
21/02/2006

よく意味のわからない事。

昨日、ブログにて死を予告しました。
まぁ死ぬことに変わりはありません。でも
少し違うことがあります。
俺は死にません。
この世には人の形を留めて存在し続けます。
しかし
須藤聖也は死にます。
よく意味わかりませんね。
要は、須藤聖也と言う人間は生き続けますが、
須藤聖也と言う人間の名は死にます。
だから変な心配や迷惑をかけてしまったかたに言います。
ごめんなさい。
 
俺はまだ生きます。
でも
死にます。
変ですね
20/02/2006

決意。

本日2/20(月)私、須藤聖也はここで須藤聖也として死ぬことを決意しました。
これは決して「死ぬ」。要するに肉体が死ぬわけでなく
須藤聖也という人間が死にます。
私は別の何かになって生まれ変わろうと思います。
 
私がそばにいてきっと迷惑だった人、現在進行形で迷惑な人がいます。
確実とはいえませんが、10あったなら7~8はそうゆうひとでしょう。
ならなぜ残りの3~2の人のために生きないのか?理由は簡単。
残りの3~2の人たちが7~8の人たちと同じようにならないように
なる前にいなくなろうと思ったからです。
 
いなくなって、数日、数週間はきっと悲しむ人もいるでしょう。
しかし、所詮過去の人。
忘れられるでしょう。もちろんそれは私にとっての本望です。
 
でも、何かのひょうしに思い出してしまった人へ。
ごめんなさい。
 
さっきお風呂に入っていました。
入ってるときにこれを決意しました。
そして死ぬ前に、今まで16年間私を知り迷惑をかけた人達のもとへ行き
謝ろうと思いました。
 
でも、「ありがとう」そういいたい人が増えるのと同時に
悲しみがドンドン増えていきました。
 
でも一度決めたことは私の意地に賭けて曲げません。
人になんと言われようと、人に何をされようと
私の意志を貫きます。
 
私のこの行為によって
「誰かが悲しむ。」、「誰かが迷惑する。」
なんて言われようと、そんな脅しをかけられようと
たとえ脅しじゃなかったとしても真っ直ぐ歩きます。
 
ドジな私です。きっとこけたり道を間違えるでしょうが、
「馬鹿なやつだな・・・」
そんなふうに思っていただいて結構。
それがわたし須藤聖也ですから。
 
須藤聖也が死んでも新しい私の中に須藤聖也は生きていくでしょう。
できればこのブログにはコメント残さないでいただけるとありがたいです。
コメント読んだら泣いちゃいそうですから。
 
改めて宣言します。
須藤聖也は死ぬます。
 

†霞桜 霜生†